武術における文武の伝
「武術、文術」「武芸、文芸」こうした分類が全く意味を為さないということはあるまい(「文術」という語はないが、文章作成技術のことと考えて頂きたい)。これらの根源にあるのが「道芸」である。「一気」という語でも表現されることもあるが、『老子』には「一は二を生み、二は三を生じて、三は万物を生む」と説かれている。この「一」に相当するのが、「道芸」であり「一気」なのである。人は、文武の修練をする。武術で身体を鍛え、読書をして知識を蓄えたりする。しかし、これでは他のものに発展することは無い。これに「一気」「道芸」が加わってこそ、「三」となり「万物」を生むことができるようになるのである。では、「一気」「道芸」とは、如何なるものであるのであろうか? 実はそれを言葉で表現することは出来ない。それは固定したものでは無いからである。「一気」を得ることは、文の道を以てしても、武の道を以てしても可能であるが、文武の基礎的な修練は、欠かすことが出来ない。
もし、あなたが「武」の道を採るのであれば、先ず武術を練る一方で、文術の訓練を受ける。そして武術を武芸にまで高め、一気を得る。そうなれば遠からず文術も文芸の域に到達することであろう。また「文」の道を選択しても、同じ様であり、一気、道芸を得て「文芸」の境地に達し、そして武術も武芸となるようになる。
文も、武も、それに「偏る」ことは身を滅ぼすもとである。文武の合一は、活きるための必然である。
道教の五行思想では、自然を木・火・土・金・水の五種類の要素に分けます。四季を青春・朱夏・白秋・玄冬といいますが、玄は黒のことで、それらの色に中央に黄を加えたのが、色の五行です。
道教で重視した幡(ばん)と言われる縦長の旗は、同じ大きさの青・赤・白・青(または紫)と黄の、長方形の絹の布五枚を重ねています。山背大兄王が亡くなった時には「五色の幡」が空を覆ったと記されています。
それぞれの色には、意味があり
『白』仏さまの説法される歯の色を表し清純な心で悪業や煩悩の苦しみを清める「清浄(しょうじょう)」
『赤』は仏さまの情熱ほとばしる血液の色。大いなる慈悲の心で人びとを救済する働き「精進(しょうじん)」を表します。
『黄』は燦然と輝く仏さまの身体で、豊かな姿で確固とした揺るぎない性質「金剛(こんごう)」を表します。
『緑(青)』は、仏さまの髪の毛の色で、心乱さす力強く生き抜く力「定根(じょうこん)」を表します。
『紫(黒)』は、聖なる身体を包む袈裟の色で、あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ「忍辱(にんにく)」を表します。